アジア人差別問題について思うこと。#StopAsianHate
こんにちは、まみこです。
今回は今アメリカで問題になっているアジア人差別について、
そして日本人として、アジア人として、どう受け止めていったら良いのかな、という
私なりのアイデアについてお話ししたいと思います。
昨年アメリカでコロナが流行し始まって、もう一年ほど経ちますが、
コロナによって仕事を失ってしまった人や大切な人を失ってしまった人、
苦しい思いをしている人が今でも世界中に沢山いらっしゃいます。
怒り、悲しみ、どうしようも無い気持ちがもんもんとする中で、
”じゃあ、誰がこの状況を作り出したのか?”という疑問が頭に浮かんできます。
証拠や根拠がはっきりとしていない憶測として、中国からコロナウイルスは広まったと考えられていますが、元アメリカ大統領のトランプ氏が”Kung Flu" "Chinese Virus"といった中国を皮肉ぶる様な表現をしたために、”これは中国のせいなのではないか”と考えてしまう人が増えてしまった様です。
コロナが原因のどうしようもない怒りをぶつけるのに”ちょうどいい”ターゲット、
それが今の現状であるアジア人を標的とした人種差別なのです。
アジア人らしき見た目の人々全てを”コロナの原因を作り出した人々”と一括りに判断し、
言葉で罵ったり、暴力をふるったりするヘイトクライムが去年から増加しています。
見た目だけで判断し、全く罪のない人々を傷付けても、何も解決には向かわないのです。
感情の爆発を人種差別として人にぶつけても、どうにもならないのです。
ただただ、傷つく人を増やし、悲しみや怒りを増やすだけではないかと私は思います。
アジア人として今アメリカにいるのは、正直少し怖いなあと感じます。
昨年には黒人に対する人種差別やヘイトクライム騒動が立て続けにあったにも関わらず、
今年もそんなことが起こるだなんて。
悲しくて、悔しい気持ち。
自分や家族、友達が標的にされてしまうことがあったらどうしよう、と不安になる気持ち。
去年起こっていた騒動の合間にブラックコミュニティーの人たちはこんな気持ちで戦い、
そして慰め合っていたのかもしれない、と痛感しました。
今でもそうなのかもしれない。
アジア系の人々は”世界的パンデミックを引き起こした犯人”と、
ブラック系の人々は”ドラッグや犯罪の常習者”と、
中東系の人々は”テロリスト”と、
事実ではないことも含めた全てを信じ込んで、
その様な見た目の全ての人を”その様な人”と判断し、差別する。
見た目だけで判断するのは、とても簡単。
その人種の歴史を知らなかったり、真実を追求せずに考えると、
ステレオタイプな考え方に行きついてしまうのです。
"Educate yourself" - 自らを教育しよう。
どんな人種にも映画やメディアからなるステレオタイプなイメージが無意識に私たちの頭の中にこびりついている場合が多くあります。
(例:こういう見た目の人はこういう性格・性質である)
今まで信じてきたイメージを置き去りにして、真実に目をむけるというのは決して簡単なことではありませんし、そもそも何故他の人種の歴史について知る必要があるのだろうと思うかもしれません。
でも、”人種差別を無くそう”というゴールは
- お互いについて理解しあうこと
- 目の前にある真実を受け止めること
- 平等さ・不平等さについて考えること
- 尊重し合うこと
これらがない限り、実現は不可能なのではないかなと私は思います。
1つの考えをみんなに押し付けないこと。違いを知ること。個人を尊重すること。
同じアジア人でも国によって歴史や考え方はそれぞれで、
いくら見た目が似ているからといってそれらの人々が同じ経験をしたとは限らないのです。
そして差別を無くす一歩は、一人一人の行動からしか始まらないと思います。
アメリカに限らず、日本でも人種差別は起っているのです。
”私は日本にいるから差別なんかしたことない”と思ってしまうかもしれませんが、
実際、無意識の中で”こういう見た目の人は怖い人・変な人・考えが通じない人”
と考えてしまっているかもしれません。
じゃあどうやって自分を教育するために情報を集めたら良いのか。
どんなメディアから情報を得るかにもよりますが、より事実に基づいた記事を載せている大きな新聞社の情報(New York Timesなど)や、経験や事実に基づいて書かれたエッセイやノンフィクションの本・映画から情報を得るのが確実です。
個人の経験を見たり聞いたりすることで、
”これは他人事ではなくて、私の生きるこの世界で起った・起っていることなんだ”と実感することができます。
__________________________
アジアンヘイトが起っている中で私が思うことは、
どうか、弱い立場の人を虐めないでほしい。
見た目が違っていたとしても、同じ人として扱ってほしい。
冷静になって事実を一緒に見て考えてほしい。
ということです。
いつか、世界中の”文化と歴史の違い”が一人一人によって尊重される時がくることを願いつつ、私も私自身を教育していきたいと思います。
今日はこの辺で!
Mamiko